マウスの安楽死

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今日、初めてマウスの頸椎脱臼を行なったので、この感覚を忘れないうちに書き記しておこうと思う。

自分はこれまで大腸菌または培養細胞を用いて研究を行なってきたため、哺乳類動物をまともに触ること自体全く慣れていなかったが、今年度から研究テーマを発展させて動物個体、組織を扱うことになり、マウス実験を一通りこなせるようになる必要が出てきた。四年前、学部三年生のときに実習でラットを扱ったことはあるものの、この時は1班4人に1匹の配分であり、自分が担当したのは既に心臓放血済みの死体から臓器を取り出す場面だけであった。特に動物や血が苦手ということもなかったし、もはや生きていない物体を扱うことに何ら感じるところもないと心の中では思っていたが、深層ではやはり気が引けるところがあったのか、4人で共有しなければならないことを言い訳にして半分くらい臓器を取り出したところで次の班員に交代したように覚えている。

四年も昔にあった一時の出来事に対する気持ちなどもうほとんど覚えていないが、人間そんなに変りはしない、あの時の自分も今の自分と似たような感情であっただろう。さっきまで生きていたのに、生きているのと寸分の違いもない物体がそこにある。苦手な人にとっては耐えられない光景だろう。それでも、自分の頭の中ではこの物体を解剖しなくてはならないということでいっぱいである。実習という名目のために命を捧げさせたのだから、少しでも有意義に活用しなくてはならない。

しかし、今回はあの時とは僅かばかり状況が違う。練習の為だけに自分で命を奪わなくてはならない。四年前は班員にやらせた。二年前に培養細胞を作る際は共同研究者にしてもらった。だが、もう誰も代わりにはやってくれない。いつまでも無責任に自分だけ綺麗でいるわけにはいかない。自ら手を下さねばならない。

安楽死に先立って、他の新人学生と共に尾静脈注射の練習。実際には机のスペースが限られていたので、他の学生が先に予定していた練習を一通り行ない、別の実験練習へ。自分がやる前に3匹の安楽死を見届けた。自分の番が回ってきて、まずは尾静脈注射から。これがなかなかうまくできない。針が刺さって前後に動くのだが、練習に用いた生理食塩水が入っていかない。やり直すために針を引き抜くと血が出てくる。刺す場所は間違っていない。再度刺しなおす。うまくいかない。またやり直す。針が刺さる度、マウスが暴れる。泣き叫ぶ。心の中で謝罪しながら、何度も繰り返す。こんなことが許されるのだろうかと考えながらも、この後に行なうことを考えるとまだ気が楽でいられる。

その時が来た。終ぞ尾静脈注射は成功しなかったが、実験机の向こうで一足先に心臓採血の練習を終えた中国人留学生が、吸入麻酔用の瓶の口をこちらに向けている。あなたも早くやってみなさい、という意思だろうか。促されるまま、マウスを瓶に入れる。先ほどまであんなにも強く痛みを表現していたのに、すぐにぐったりになった。このとき、彼女に意識はあったのだろうか。

別室で他の実験練習を行なっていた学生たちが戻ってきた。視線が増えたことを感じながらマウスを取り出し、心臓採血の方法を確認する。心臓の位置を指で確かめる。鼓動はあまりにも弱く、手袋越しに少しだけ生きている温度を感じる。そして、針を刺す。内筒を少し引きながら、心臓まで針を進める。血が注射器に入ってくる。すぐに逆流が止まってしまい少々手間取るが、再度逆流するポイントを見つけて内筒を引き直す。200 µLほど取れたところでマウスがのけぞり、針が抜ける。刺しなおすことを考えたが、十分量は取れている。

ここで、頚椎脱臼を行なうことにした。抑える位置の確認。左手は頚を抑え、右手は尾を持つ。ここで教わっていた学生から助言を受け、右手を尾の根本部分に持ち変える。左手にはまだ温度を感じる。頚を強く抑え、尾を引く。左手の感触が変わる。これ以上は引けない。引くことが出来ない。手も表情も頭の中も冷静だが、気持ちがこれ以上引かせてくれないという感覚。これで出来たか確認をとる。まだ足りないようだ。確認のために一度手を離したためか、ついさっきまで引けなかったのに今度はあっさりと引けた。明らかに何かが外れた感触とともに、恐ろしく鈍く重い音が出た。しかし、周りは一切それに気づいていない。自分の左手だけが聞いた音だったようだ。そして、死亡を確認。(この後に解剖を行なったが、これは初めての体験ではないので割愛する。)

長々と書いてしまったが、実際にはたかだか数分の出来事である。それでも書き留めておく必要を感じたのは、これから先の人生において何匹ものマウスを安楽死させていくうちに、今自分が感じている感覚がなくなることはまず間違いがないことではあるが、完全に失ってはいけない感覚であると考えているからだ。その感覚をうまく言葉で表現できないのがなんとも歯がゆいが、感覚の源である感触であれば表現できるので記しておくことにした。

最後に特に記しておきたかったことを書いておく。執筆中の今、左手には頸椎脱臼時の感触がまだ残っている。生きていることが感じられる温度。皮膚と毛の触り心地。そして、脱臼時の感触。しかも、手袋越しで練習したにも関わらず、あたかも素手で触っていたかのように思い返されてしまう。重く受け止めすぎている節があるのかもしれないが、軽く考えていいことでもない。この先何百何千匹ものマウスを安楽死させることになるのだろう。そのとき、今の感覚を何度も感じるのか、それとも全く何も感じなくなってしまうのかは分からない。どちらにしても、「死ぬ」という瞬間に今日初めて自分が関わったということは忘れずにいたいものである。

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